我らの八大龍王様は縁繋ぎがお得意 ?
龍神ってそう言うものかな…。
いやいや 因果は決まっているからね
(確定要素と未確定要素あり)
類とも論的には配役はバッチリな訳で、
キャストとして神仏に使っていただけるかは
己次第。
また、舞台の格式を選ぶのも己次第
という選択肢のオンパレードが この世
すごいぞ地球。
で、我らのCLUB内でもよく話しにあがっている、
講(集団になること)
口伝(師から弟子へ伝える)
ヒエラルキー的な行い。礼儀や配慮や規律やらなんやら
は、要るのか 要らない のか論議
長くなるので はしおって…
汚れた人間(現代人)には、縦軸と横軸の理を習うことは有益だと思う。だって知らない事だらけ出来ないことだらけだもの。(実感談)
他者と関わることも薄れ
他者への導きや共有も望まず
他者への哀れみや
継続(継承)する価値や忍耐を望まない者であれば
集団に属する事は不要なのかもしれない
(修験者であれば先達である必要がない)
個人で行ずればいい
だがしかし、個人で覚り行には限界がある。
何故ならば
人間は
地球に住み 国に住み ◯◯町に住み
生きているだけで属している。
親族があって、家族があって、愛するペットがいて
仕事をしていたら
そのコミュニティに属していて…
関係も血脈も霊脈も継続している。
慣れ親しんだ場所では 非常識も常識になり
狭いコミュニティの常識は無礼も善になる。
言葉を交わし 感情を共有し
私たちは属している 群れている。
臓器や細胞と同じ
宇宙の星星と同じ
量子と同じ
自分から発した思いも声も言葉も
血肉も 本体が物質として無くても伝わっていく。
時空間記憶には蓄積されている…
だとしたら自分の真実が伝わっていけばいいと思わないか。(だとしても裏は生まれる)
この世は 表と裏で出来ている
表面的な言葉や思想、歴史や情報だけでは成り立たない。
何故ならば、人間は多種多様で優れているが余り、愚かで哀れだからだ。
裏とはそう言う人には理解が出来ない。
裏と表は反転もする。
見える世界と見えない世界とはそう言う事だから。
だからこそ、分離を必要とし、苦楽を感じ
アナタとワタシが成り立つ。
ワタシだけが善い事で満足など出来るものか。
おまけ
時代かぁ
時代ねぇ…
修験道には全部ある。(実感)
実践と経験と定着からのフツーが宝だ。
そう思うと、最近 弘法大師の偉大さと
大日如来が胸に咲く。
私にお役があるならば
ただやるだけだ。
仏(神仏)と法と師に出会えた事に感謝いたします。
父母 祖父母、ご先祖様
遠い私と魂に感謝いたします。