くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

悟り/めぐり巡って、いつでも今なんだよね。

貴方と相手は”1つ”でありながら、同一では無い。

つまり、同じ生命であり同じエネルギーでありつつも、個性や意識は全くもって貴方と同一では無いという事。

 

いつだったか、

こんな言葉をどこかのブログで読んだ。

まさにその通りだ。

 

 

前回の記事の続き。

 

悟った人が、いつか味わう馬鹿馬鹿しく思う(感情)

には、まだある。

宇宙は全てがヨシだからだ。

「全てが肯定」

要は、悟りの考え方は、身に付けば実に生きやすくなる。しかし、悟り的な思考で生きなくとも、「それでヨシ」なのだ。

つまり、自分に偽り苦しみもがいても、本人が好ければ

「ヨシ」なのだ。

それなのに、わざわざ波動を下げて教えを解くことに意味があるのかと、「迷い」が訪れるのは当たり前だ。

何が正しいのか分からなくなるからだ。

正しいが無いと言う事が解っているから、分からなくなる。(宇宙は矛盾があって完璧)

しかし、宇宙の統合には人の使命である、「人の為になる」を使命として必要無くする事が必要なのだ。

使命と思わず、当たり前。ごく自然として行動する精神になること。

全ての人が、自分の魂の声と肉体の声と思考とを一致させ生きていく。そうなれば、教えも悟りも学びも不要。

神との交信も、仏と共に調伏も自然にできている。

そして、人々はお互いを尊重しあい、調和で生きていく。そんな世界が人類のヘブンであるなら、

そうなることを望むから、悟り的な考え方が今、必要なのだと思う。

 

矛盾ばかりの悩みのなかを、めぐり巡ってお釈迦様も、

悟りが人の道となると説いたのには意味があり、

今(いつでも)なのだろう。

 

他者と比べず、依存せず、自分らしく生きる。

それが一番。

 

この世とは

わざわざ、分離して統合する。

実に壮大で面倒な業だ。

それだけ、今がスペシャルな時代なのかもね。