くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

学び、知識を得たからと言って幸せにはならない。

悟る(幸せになる事)には知識はいらない

体現しているからそう思う。

しかし、意識拡張には知識があると膨らみを増す。

(私は気づいてから知識をつけるパターンです。)

(気になってから調べる)

 

そして知識があると豊かになる。

 

スピリチュアル的なこと

目に見えない事すべて

神仏、運命 エネルギー 病気、ウイルス、細菌

思考 意識 夢 音 匂い 成長 など

 

全部

 

切り離して考える事はできない。

知識としては個別で学ぶことになるかも知れないけれども、根底は一つの根なのだという事を忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

言いたい事

 

例えば

怒りや、戸惑いや、笑い話も

言いたい事が多くて、自己整理(落ち着く)する為に時間を置くと、どーでもよくなるって事ありますよね。

 

ま、いいか って思っちゃって

おかしくも、悔しくもないっていう感覚。

 

それ、悟り的な感覚なんです。

ドーン(/・ω・)/

 

悟ってしまった瞬間の後って、

どーでもいいやって思う感覚が沸き上がる。

 

いい加減

(適当では無くて、自分の居心地イイ感じ)

 

それ。

 

悟り的感覚なんです。

 

 

あー そうそう。

話題のお菓子を食べたりとか、場所とか行って、

自分的にイマイチだったので、

友人に感想を聞かれたとき「ワクワク」しないでしょ?

「それほどでも…」的な

それ、その感覚も似ています。

 

あの感覚は、本人が経験して知っているから中道(中庸)に居れるのです。

だけど、お菓子の新しい食べ方や使い方、場所の楽しみ方や知らなかった歴史?など知ったらまたワクワク(興味)を持つでしょ(かも知れない)

それ、学びなんです。

それが知識なんです。

 

知ってる人から知る人へ 

エネルギー循環\( 'ω')/わーい♪

 

 

より深く真理を知った人(魂の教え)

悟り人(知ってる人)は、他者に説法することがお勤め(使命)になりますが、

人に教えようと思うと、とてもエネルギーのいる事に変わるんです。

伝えよう!分かってもらおう!気づいて欲しい!と念がこもるから。

(波動の調整もする)

その念が相手に作用すると、相手は『これか!なるほど』と腑に落ちる。

それが、エネルギー循環でアリ、陰陽のバランスなんですよね。

 

人は学ぶという事が必要なんです。

循環する為に

人から人へ 知ってる人から知る人へ

(魂の成長、悟る事への進みにもなります)

 

で、教えるって行動はエネルギーを使うから対価(お礼)が必要になるのです。

カルマを必要以上双方がつけない様にするために

だから、現代はお金を払うというシステムになっているのです。

 

 

 

何がいいたかったのか広がりすぎて

忘れたわ (笑)

 

 

悟(幸せになる)こと自体には知識は不要。

しかし、知識があると物事への意識や宇宙に対して認識の広がりが増す。

自分や世界への視野が広がり、心も豊かになります。

 

学びとする事は、人から学ぶ知識だけでは無い

例題では人を題材にしましたが、

生活の中のすべてが学びになる

自分自身 人間関係 物流

自然や虫、動物 食べ物 空間  全て

 

それらから学ぼうと思うことは、好奇心や興味(意識)を向ける事が必要。

それが、学ぼうとする意思であり知識になる。

して、知識から興味を抱き、探求することにより気づきを得る人も居る。

 

 

人それぞれの学び方があるという事なのでしょうけれど、教えてもらう人との相性とか話し方で同じことを話していても、伝わりやすさとかも変わるしね。

めぐりだね。

ただ、

脳ミソに詰め込むための学びにはして欲しくないですね。

 

脳ミソにため込む学びでは悟れないし、幸せにはならんよ。

得た知識を使い

学びを自分に照らし合わせ、

腑に落とし、

モノにしろ!

 

そこで、やっと実になるの。