妻沼 聖天山へ行きました。
甥っ子の父方のご家族が信仰されていて
お宮参りや、七五三などの節目には
こちらのお寺を訪れていたようで、
年始めには毎年御守りを
甥っ子君達に買ってきてくれている。
そんなわけで、
妹宅に即席で作った祭壇にも
その御守りをお祀りして
朝、夕方どちらか1回は祝詞や真言を
捧げていたわけです。
秩父宝登山神社
秩父七福神
熊野神社(この土地の氏神)
聖天(歓喜天)
弘法大師(南無弘法大師と書かれた書)
を祀っています。
いつものように祈りを捧げる準備していると
神様がいる と気づくわけです。
いつもよりも 居る感が在ると言いますか…
ろうそくの炎も音により
激しく反応するわけで
なにかコミュニケーションをとりたそうです。
ろうそくの火を頼りに
感じたことを質問していきます。
(両家どちらのご関係かなどを聞き合図を決めて)
辿っていくと
甥っ子の父方、守護霊やご先祖、氏神ではなく
信仰の神となり、
妹に確認したところ
上記ないようを話を聞いたので、
間違いがなく聖天様(歓喜天)と分かったわけです。
甥っ子君を学校へ送り
その日の昼頃
妻沼聖天山(お寺)に向かったら
あらビックリ
参道に
秩父宝登山神社があり
その脇には聖観音菩薩がいらしたり、
本堂(本殿)の彫り物に七福神があしらわれていたり
護摩堂があって行者修行も行う場であったり
弘法堂もあって 行者に優しいサービスがあったりと
門を見れば関東霊場の札所だった事に
気づいたりと
私にピッタリ💖
とルンルンになるわけです。
一通り参拝しても
まだ、足らない感じがして、
聖天山歓喜院本坊へ
途中の坂石塔婆(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)
3仏の彫られた石仏を見て、
これでOKと思えたわけです。
そしたら、ポツポツと雨が…
洗濯物を外に干して来てしまったので
急いで帰りました。
妹の自宅へ着くと
甥っ子君が帰宅
だるそうに道の向こうから歩いてきて…
甥っ子君の入院までの怒涛な流が…🏥🚑️
医療機関は大変です。
発熱があると、簡単には病院には入れません。
検査待ち約3時間くらい
仮設の診察室で
その間にも出来る治療を施す。
結果、問題なく
病院内で治療続投。
重篤にはならず(なるはずがなく)
痛みも引き、食事も普通に摂れる様になれば
早々に退院できると思います。
聖天様はこの事をお知らせくださったのですね。
他にも多くの気づきはあるのですが、
この辺で…
不思議で忙しい日となりました。
今月は私にとって
分岐点になりうる事が多いと思っていたので
まー、マイペースにやりますよ。
また、私に起こることは
私以外の誰かも起こっていて
同じように
学びや分岐点、選択の質が
重要になってくると思うわけです。
甥っ子達も家族の愛と神々に守られていると
感じることができ嬉しく思いました。
このように、目には見えない力(思い)と言うのは
自分の気が付かない所で動き
助けになったり、気づきや課題を与えたり
するわけです。
それは、神仏だけではなく、
人の思いにも言えることで…
その事に触れることが出来たと
実感できるかは、日々自分との対話や観察が
あるかで変わってくると思うのです。
違和感や心地よさが変わる
その繊細な変化も 自分の一部なのです。
おまけ
甥っ子君
一番つらかった時を10だとしたら
今はどのくらい? の問に
初日は答えられなかったが、
1日後には
痛みの比較を自分なりに分析し
○見えない痛みの数値化
○見えない痛みを伝える
○見えない痛みを考察する
素晴らしい進歩だ!
甥っ子君
君のどこが悪いかの説明しようか?
(病状を説明)
と聞いたら、
『知ってる』と返事が返ってきた。
私は笑って
「だよね」と答えました。
自分を一番知るのは自分だ。
と、言いたげだ。
ナイス😆👍️✨