本日、
数ヶ月前から対応していました(個人的)
通称?『スースー問題』からのご縁で
信頼のおけるヒーラーさんに
エネルギーワークを
受けられることになりました。
その、スースー問題とは
オーラっていうかぁ
エネルギーの層に穴があく と言う
摩訶不思議な体験で (笑)
その状態を認めざる得なくなる事象や
不思議なことも
ご縁がなせる技なんですけど…
今回はこの話しは割愛
スースー問題の重大性を手短にいうと、
この状態が続くと…
死ぬなぁ(死期がはやくなる)……と思うくらい
はっきりとエネルギーが溜まらない状態でして。
この状態を誰にも話さないで秘密にしていたンですよ。
(弱点になると強がって。)
修験の先生方にはうっすら「バレて」いたようで。
常に「大丈夫?元気?」などお声かけ頂いていた。
そんなこんなで、今回
エネルギーの調整を😆
エネルギーを受けるや早々に
脳ミソロックオン 思考を固定されたかのように
「考える」が制御された。
体もロック
意志を持てば解除は可能なンだけど
感覚としてはロックされた感じ。
背中がボヤ~っと暖かくなる。
そのエネルギーは
神仏様からのグイグイするエネルギーににてる…
頭部から左側→足先→右側
に来るや
右側の反応が一段と上がる
(特に腰と脇腹)
ピリピリ ピリピリ
左側を『ひーりんぐ』されていても
右側がピリピリと…
反応していたが、左側に施術がくると一層
ピリピリ ピリピリ
そう感じていると…
『くじってできるんですか?』
くじでエイっと膜って言うか…
破って欲しいと…
ナンですと?!Σ(×_×;)!
くじって…
とお話になるエネルギーワーカーさん
エネルギーワーカーさんは「九字」を知らない。
九字がどんなものかも知らない
(知らなかったらしい)
なのに、人に使えるのか?と聞いてきた。
くじ、くじ、と言われるの…と。
(誰に?って話ですよw)
先生はゆっくりと、『できますよ。』
と、
私を座らせ
エネルギーワーカーさんの指示で
私の背中側から九字を切った。
入念だった。
それは じわっと暖かさのあとから
ズドンと 撃ち抜かれたような
点で抜かれたように感じた。
そのさきには… 観音様…
(あれ、先生のお母様?(故人))と思うも
お母様の観音様じゃない?とも思える
でも観音様だよなぁ と感じていた。
目線は窓の外を見ている私
でも
心の目には
私の前には柔らかい観音様なのだ。
九字にい抜かれると、
ズドンとするんだなぁと感じながら
観音様をみているのだ。
と、同時に
寿命が伸びた と 思ったのだ。
またまた じ、つ、わぁ
このところ「焦り」「虚しさ」など
焦燥感ににた感じと、右側への危機感を感じていて
これを言うと、親近者は心配するかも知れないけど、
ガンの再発又は、新たな病気の確率が高まっている
と、感じていた。
これはスグって話じゃなくて
未来は不確定だけれども、
考えられる可能性の中、そういった出来事の
確率が高まっている と言う感じだ。
自分に合ってない選択行動が続いていれば
そういった確率が上がる。
また、不要なエネルギーを溜めることや
不要なエネルギーを自らつくる
不必要にエネルギーを漏らすのも良くない。
スースー問題はやはり重大だったとおもう。
ましてや、
私的に『膜みたいのを破って…』と言う
フレーズは聞き捨てならない
はい、 パラレル書き換え
ありがとーございます。
という感覚なのだ。
膜とパラレル? 意味分かんな~い
とお思いかも 知れないけど、
私には関係する感覚なのだ。
この膜、推測するに
自分で防御壁を作ってたカスというか
想念じゃないかと思うのですよw
スースー問題が個人的に
あまりにもしんどかったので、(無自覚)
無意識に自己防衛に
チェーンをグルグルまきにして
どっしり重くしてみたり
ベタベタ塗りたくりすぎたり
シールドを何重にも張ってみたり
⬆️イメージですよ
念が解放されてなかったかぁ~( ´;゚;∀;゚;)
そうやって人って無自覚に
いらない念を貯めているんですよ(苦笑)
いらない念は毒になる。
その根拠は
再建側の胸の違和感が増えていたから😄
細胞は会話するので、納得いかないと
反発するんですよ。(笑)
これも経験済みで導きだした
肉体の声の聞き方
肉体の声は心(本心)の声ですから。
脳ミソは嘘つけても本心には嘘つけない
人間のシステム。
スースー問題の解決には
凄腕エネルギーワーカーさんのご助言からの
穴発覚と
峯龍先生、奥様と
先生のお母様(故人)のご助言で命拾い。
今回は
凄腕エネルギーワーカーさんと
峯龍先生とのコラボで
寿命が伸びた。
スースー(抜けていった分)プラマイゼロか?
なんてこったい
もう降参でーす( ;∀;)
八大龍王様の云うとおり…。
本文長文なのに
おまけ
心配事を心配として考えて感じていると
心配が現象化する って言うでしょ
それ、ホント。(経験済み)
だけど、話の中の未来の確率としての
「かもしれない」に、私は
心配(不安)しているのではなくて…
かもしれない出来事として「ある」を
受け入れているだけ。
どんな病気も怪我にも不安はない。
正直、明日死んでも
今、やれることはやった。と思って
布団に入ってるし、生きてるから
悔いはない。
ただ、
信仰心(神仏にだけではなく)や
自然に生きる、
心が世界を創る
意識が全て
という教えを世の中に伝える事が
病気や怪我で
1年でも半年でも
時間が減るのは惜しい。
と、思ったのだ。
こんな心理が私にあることも
再確認できたので、
学びの大きい一日になった。
感謝しかない。