くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

存在するへ

ただ存在するへの恐怖

 

 

これは現代人 イヤ、

人間の呪縛なのかもしれない。

働かないと価値がないとか

肩書きがないと恥ずかしいとか

何かしないと

何かしていないと

学ばないと

 

置いていかれる…

 

そういう存在価値への劣等感

は、

人(誰か)の為に生きなければ…

同じ苦しみなのだと思う。

 

よく 

何者にもなるな…と自分にも他者にも

伝えるのだけれど、

 

私が私であると いちばん

何者かになりたがっていて

 

私が私であるとするために

私のできることを探している。

 

これは違うぞ と…

 

 

私が私という

存在のままを価値(意志や誇り)

としてここにいるのだ。

 

それでいい のでは…?

 

を、受け入れる…

(もっと深く質を高めて受け入れる)

 

 

人間は

なにかやりたくなっちゃうからなぁ…

活動(行動)することが生きているコトだと

思っている

本能、遺伝子レベルの癖だな。

 

何様だと思ってるんだろね🤣

恥ずかしい。(自分)

 

 

またいつか同じような迷いや

試練が来るかもしれない

この繰り返しで

徐々に慣れて

徐々にフツーになって

徐々に当たり前になっていく。

 

苦しいことも

幸せなことも

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

仏教的 精神意識の世界では

「私」と言う存在は存在しない。

「私」と定義付けている先には

必ず対比する

誰か、なにか、があるからだ。

 

つまり

 

私を決めているのは 外側のなにかで

私とする自己ではないのだ。

私らしい私を作っているのは私

私らしい私のイメージは外側のなにかとの比較によって好ましいモノをチョイス(選ぶ)しただけ。

 

自己を己のみ 存在している(らしい)

を認知した自己 = 存在

 

それで完結し、

ソノサキの進み(道とか未来とか)は

流れ(縁)がもたらしてくれる。

 

その流れのなかで、存在し事象として

やるべき事(できること)が役割となるだけ。

 

どうやら そういう

よくわからない渦に 

巻き込まれているのだと、

認知(認識)しながら流れている様な

気がする今日この頃。

 

 

こういう流れが輪廻転生システム(考え方)の1つ

 

過去も未来も 今ココ ってことかな。

 

つづく

 

 

 

 

怒りと執着は人生を変える

疑問を持つことと、学ぶ姿勢もまた人生を変える

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