当たり障りのない友もいれば、悪友もいれば、善友もいる。仏教では、「悪友を避けて、善友と関わりなさい」と解く説法がある…
こう聞くと、何が悪友で何が善友なのか…
怠惰への誘惑を起こす人間関係は悪友
だとしても、悪友をつくるのは
自分の甘えでは? と思うのです。
やはり悪しき心は自分の内だと思うのね。
付き合っていて疲れるなと思う人はいる。
摂理として人間もエネルギーでできてるから
関係性っていわれるエネルギーの流れがあって、
搾取されるだけの人もいれば
与えてくれる人もいる
相互で向上する人もいれば
相互で降下する人も…。
こう言うところが人間だものって言うのかなって思うけど…
努力うんぬんでは無く、関係性からマイナススタートするのは好まないわよね誰も。
リスクは知って、少しでも弱めるほうがいいと思うわけ。
自分のためにも 相手のためにも。
自分と言う、外的自己と内的自己
この両者の共同において「私」という存在が成り立ち、そして「私」こそが継続される時間の正体となる。
また、時間という継続(進み)は場といわれる空間を作り出す。
つまり
時間と空間を他者と共有するということは、自分(私)というものを構築、生成、修正し、作り上げる作業ソノモノである。
観測者(相手)あってワタシが私であると認識できる世界