この宇宙というか… 空間というか…、
生命のあるところは特に…
エーテル(エネルギー)で満たされている。
エーテル(エネルギー)は目には見えないものではあるが、エネルギー同士の条件が整い運動(力)が加わることで、物質化し、
見えるものとなり、概念や意味、言葉を作る。
そして、さらに強固な見えるモノとなる
(見えなくも有るモノとする)
エーテルといわれるそれは
意であり 場をも生む。
純粋なエーテルをいうのであれば
ただあるだけ
エーテル自身に役割(意味)を与えるとするなら
無限大な可能性しかない。
人間の意図せずにも反発するそのエネルギーは
見えるもの(見えなくとも有るモノ)(感じていると思うことも含む) を生み出し
多様な経験と結果を創造し肥大する。
これが宇宙
創造し肥大した善悪ある因果を
重くしたり 軽くしたり
広くしたり 狭くしたり
裏にしたり 表にしたり
明るくしたり 暗くしたりして
突き動かし色を作る。
人間は無限大のエネルギー、エーテルに埋もれて想像を越える創造を発露させる力と可能性をもっている。
今朝、興味深い動画を拝聴し
光はない とのお話を聞いた。
エーテルとするエネルギーを宇宙の根元エネルギーとするなら 確かにね と思った訳で。
光の前に エーテルがあるということですよね。
確かにw
全て最後にはコレか…と思える点に終息するわけだけど、どこを終着点にするかで話の行き先が変わるから、対話は面白くも面倒でもある。
エーテルを無味無臭の無とするモノと考えて
そこに大慈大悲の光明の光
希望の光 明るいひかり 光✴️とするなら
光は生み出されたもの。
地水火風空 どれも 元素となるエネルギーで
光もまたそれ。
では、誰が生み出した どう生み出された
どこで だれが なぜ…
こう言う話が好きだなと思うのです。
追記
エーテルって生命エネルギーってメモ書きに書いてあった。