自分が正しいのか? どうしたら良いのかと
悩むことって、実は
自分をしっかりと観れていると言うことかもしれません。
自分のことが解らないと言う事、
漠然とした、モヤっと。
ありますか?
それは、外に意識が向いているのではなく、内側(自分)へ意識が向いている状態のように思います。
人は他人と比べることで、優越し安心したり、
他人より劣っていると思えば、劣等感に襲われたりしながら、自己承認や自己認識する癖があります。
それはなぜか。
楽だからです。
比較対照がいた方が自分と言う個を保つためにも、自分を造り上げるためにも、楽だからです。
個と言うモノは、他者がいるから認識できるのです。
他者がいなければ、あなたが誰である必要も在りませんからね。
そして、脳機能(左脳)の中に『枠』を設けたいと言う欲があります。(カテゴライズしたいのですね)
知識を得ると言うことは、枠(ジャッジや分ける)が増える事とも比例します。
人類が智恵の実を食べてから、人は分析と言う力を得ました。
脳みそに人格的声が生まれた瞬間かもしれませんね。
そのお陰で、人は進化の醍醐味を体験しています。
知識を分類や隔たりの道具として使うのではなく、
相手と言う「個性」を観るために使う。
自分の居心地イイ選択のために使う。
今ある知識を、感覚と融合させて、
自分と言う個性を生きる時代。
自分が個性を生きれれば、
他者も尊重できるはず。
見聞きし、感じて、分析し、選びとる。
体験して知識を増やし、理解を深める。
脳ミソの分ける癖、ジャッジしたがる癖をしり
右脳と左脳をバランスよく使いましょう。