使う 使われる の使うを
使い捨てや、こき使うの使う のイメージしかできない意識幅はもったいない。
「使う」には「活かす」系の意味も含まれる。
使うという端的な言葉の意味を向上させれば「活かす」になる。
端的、簡単な言葉で言い表せば陰陽、プラス・マイナス、が同時に現れ(又は悪いイメージが優勢になり)
丁寧な言葉は、プラスイメージから入り柔らかくはあるが陰気を漂わす。
脳ミソの罠ですね。
使われる こき使われている
を自分に置き換えて、とたんに嫌悪感を抱くのも意識幅が幼い。
使われる側の立ち位置に自分を置き
勝手に反発心や持論正義感を盾に戦いモードに入る。
負けたら不利だ
自分が損する=自分を守れ!
と防備体制に入る訳だな。
そういう思考状況を
シンリが 浅い、狭い というのです。
シンリは深くて広くて高いのです。
おまけ
使われている という言葉や行為へ嫌悪感がなくなれば、使われている とは思わないのです。
むしろ、「使ってくれ」と思うもの。
それが奉仕 、布施行となるのです。
これを繰り返せば、必然的に信愛になるのです。
正直いえば
言葉を放つ者の素性が分からないと、本当の言葉と心理の座標点は解らない。
だけど、受け取り側が世界を作る此の世の中は
受け取った側がひっくり返すスベ(技)を持っていれば、知っていれば、いくらでも好転させられる。
ま、そう言う事。
己の世界は己で作ってるのだから。