くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

習うと倣う 再び…

「習う」と「倣う」

 

まずは 真似てみる 

「倣う」

そこで満足しない

なぜそれなのか 

自分で考え感じてみる。

疑問(モヤッと)が残る様なら聞いてみる。

「習う」

 

その繰り返しで 

その人のようになる。

外から真似て 

内側も似れる様に勤める

 

その人には成れないが

    似せる事は出来るハズ。

(料理人の伝統の味とかさ、技術とかさ)

 

こう言う事も

伝承の一つとも思う。

 

 

 

 

 

 

念とは 瞬間的な想い

今の心 今への集中

念ずるは 継続性を含む

今の心の連続集中 といえる。

 

今、今、今…

願う心 思う心 今今今…

 

仏教の教えを知ったのならば使わなくては。

今の私はどんな私だろう…と振り返る事が

正念

 

自分の心の位置をしり

外側の全体を見て 現象を見て

外側の今と 内側の今を確認する。

今の心 正念

 

正しさは今を確認し認める事で効力を成す

繰り返し行い 

良くするためにはどうしたら…を模索していければ、

自然と正しさは築いていく。

 

個をみて他をみる

個をみて衆をみる

 

 

 

 

 

 

生きた教えにはリアル(現実)が必要

体感体験がなければ使いきる事は出来ない。

経典の教えもそうだ。

感覚をもって教えを観ると理解が深まる。

自分が経験したことに照らし合わせて

考察することから始める。

経典の文字通りでは理解しにくいのが、当たり前。

行はどこから始めたらいいか…などというモノでもない。 

なんとなく気になった言葉だな…位から調べてみるとか。

一度覚えた事も ブラッシュアップし続けて

深まりが増す。

深くなるということは 高くなると言うこと。

 

 

リアル体験談に学びが多いということは

間違いではないと思う。

やり残しの確認、捉え方の修正

自分にはない発想と基点などを知るチャンス

 

 

 

 

なにを言っても

自分の今を知ることだな… やっぱり。

自分の現状

環境(身近な人や生活全般)

心の有り様(執着 憤り 欲求の発生源) 

そういう事をどう向き合い観れるか(捉えるか)で

人生って変わるよね。

 

はい。

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

オリンピックや国体出場経験のある射撃選手

70歳近い地元のおじ様

今もライフルを使う。 

(秩父ってわりと才人多いのよね…)

 

競技によって心拍数を操る話

(オートマチックらしい常識化されてる) 

高い集中力を要する競技が長時間になると

競技終了後の手の震えがなかなか止まらないらしい…

 

アスリートは競技種目によって身体機能をコントロールしてしまうほど、向き合っている競技や道具と精通しているということか…。

実に興味深かった。

 

神仏に向き合うことも同じ

師の様子と照らし合わせてみると、

納得合点が行きました。

 

ナンテこったい。

 

聖者は言いました。

真を悟ったモノは衆に埋もれてると…

 

どの宗教も哲学の教えも 物理科学も

おんなじこと言ってる(笑)

笑うしかない。