くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

本からの抜粋

「根源からお金を問うこと」

■利子が利子を生むお金の錬金術

紙幣発行が何をもたらしたのか?一つの実例がビンズヴァンガーの著書に出ています。

たしかロシアのバイカル湖だったと思いますがその湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたというのです。

日により漁の成果は異なるものの魚を採り自宅や近所の人々の食卓に供していました。毎日売れるだけの量を採っていたのです。

それが今日ではバイカル湖のいわば最後の1匹まで採り尽くされてしまいました。

どうしてそうなったかというとある日紙幣が導入されたからです。それといっしょに銀行のローンもやってきて漁師たちはむろんローンでもっと大きな船を買いさらに効果が高い漁法を採用しました。

冷凍倉庫が建てられ採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競ってさらに大きな船を買いさらに効果が高い漁法を使い魚を早くたくさん採ることに努めたのです。

ローンを利子つきで返すためだけでもそうせざるをえませんでした。そのため今日では湖に魚がいなくなりました。

競争に勝つためには相手よりより早くより多く魚を採らなくてはなりません。しかし湖は誰のものでもありませんから魚が1匹もいなくなっても誰も責任を感じません。

これは一例に過ぎませんが近代経済なかでも貨幣経済が自然資源と調和していないことがわかります。

エンデは悪魔的な原理について語ったことがあります。それは人間のもつ霊性を否定して人間とはあくまでも物質からできていると説き伏せる原理だというのです。

人間の苦悩はつねに一方では精神的存在であり一方では物質的存在であることに起因しておりこの緊張関係が絶え間ない苦悩をもたらします。苦悩は人間が霊性をもつ証なのです。

しかし悪魔はいつの時代も人間に「すべて忘れておしまい。もう悩み苦しまなくてもいいんだよ。苦しむのはよそう。現世から自分を解放しよう」と呼びかけます。

すべてが物質的な存在だとすれば人には苦悩も歓喜もないわけですから。

エンデは経済は人が生活を営むための社会的行為である以上そこには善悪やモラルの規範が含まれるべきであると考えていました。

しかし現実の経済活動はそうはなっていません。わかりやすい例として経済活動の前提条件であるはずの自然資源を破壊してしまう経済システムの矛盾にエンデは目を向けます。

私が読んだあらゆる経済理論も原料はそれが作業過程に入って初めて経済的要因とみなされます。

換言すると地中に眠る原油はまだ経済的要因とみなされないわけです。熱帯雨林はそれだけではまだ経済的要因ではありません。伐採され製材されて初めて経済的要因となります。

ここで問われるべきは私たちはあたかも短期的利潤のためにおのれの畑を荒らし土壌を不毛にしている農夫と同じことをしているのではないかということです。

私たちは世界の自然資源が資源の段階ですでに経済的要因であり養い育てられなくてはならないことを学ばなくてはなりません。

現在大きな利を得ているのは非良心的な行動をする人たちで件の農夫のように短期的利潤のために上地を破壊するような行動が利を得るのです。

4年に一度は畑を休ませ化学肥料を使わず自然の水利を使ってという責任感の強い農夫は経済的に不利になるのです。

つまり非良心的な行動が褒美を受け良心的に行動すると経済的に破滅するのがいまの経済システムです。この経済システムはそれ自体が非倫理的です。

私の考えではその原因は今日の貨幣つまり好きなだけ増やすことができる紙幣がいまだに仕事や物的価値の等価代償だとみなされている錯誤にあります。

これはとうの昔にそうでなくなっています。貨幣は一人歩きしているのです。

重要なポイントはパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と株式取引所で扱われる資本としてのお金は二つの異なる種類のお金であるという認識です。

大規模資本としてのお金は通常マネージャーが管理して最大の利潤を生むように投資されます。

そうして資本は増え成長します。とくに先進国の資本はとどまることを知らぬかのように増えつづけそして世界の5分の4はますます貧しくなっていきます。

というのもこの成長は無からくるのではなくどこかがその犠牲になっているからです。

そこで私が考えるのは再度貨幣を実際になされた労働や物的価値の等価代償として取り戻すためにはいまの貨幣システムの何を変えるべきなのかということです。

これは人類がこの惑星上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いであると私は思っています。

■現在のお金のシステムがもたらしたもの

誰もが日常何らかの形でお金にかかわっています。しかし私たちはどれほどお金について知っているのでしょうか。

お金が足りないお金が欲しい働いても働いても余裕のある暮らしが得られないといったお金への「欠乏」と「渇望」の感覚そして揺れ動く経済への根本的な「不信」などお金についての悩みや不安を抱くことがあっても私たちはそれがお金の何に由来するものかあまり考えることはありません。

エンデのお金に関する蔵書の一冊『利子ともインフレとも無縁な貨幣』の著者マルグリット・ケネディは建築家です。

ドイツのハノーヴァー大学でエコロジーと都市計画を専門に研究しています。経済学者でも金融の専門家でもない彼女がこの印象的なタイトルの本を書くようになったのはなぜなのでしょうか。

ケネディは1979年から84年の5年間西ベルリンでの国際建築博覧会(IBA)でエコロジー/エネルギーという研究領域を主宰していました。

ここで都市空間における包括的なエコロジー・プロジェクトを計画し実施するという経験をもち大きな注目を浴びました。

しかしその一方で彼女はひとつの大きな壁に突きあたります。「確かにそのプロジェクトは重要であるし美しい。しかし非経済的で採算が合わない」と多くの人たちからいわれました。

実際エコロジー・プロジェクトを手がけてきた私の友人の多くも失敗しています。

そのプロジェクトの採算が合わないかぎり資金が得られないからです。彼らはそれを個人的な問題としてとらえていました。しかしそれは個人的な問題ではありません。

ケネディはどのようなエコロジー上の問題も実は技術的には解決可能なのだといいます。

そうした解決策を幅広く実施するための経済的な前提が欠けていること簡単にいえばお金が足りないことがあらゆるエコロジー・プロジェクトの障害となっているというのです。

それでお金のテーマに取り組みはじめました。というのもある日こういうことに気づいたからです。

いってみれば木の成長はいつかは止まりますがお金の成長は数の増大という点で果てしがなくその二つの成長の間には橋を渡しようのない食い違いがあります。

それは政府のプログラムによっても人々の善意のプログラムによっても繋がりがつけられません。

そのときようやく私が気づいたのはどのようなエコロジカルな対策も資本市場で調達した利子を支払えるものでなければならないという事実でした。

ケネディはエコロジー建築のプロジェクトが抱える経済的な問題はたんに建築士の問題ではなくいわば人類の生き残りがかかった経済システムそのものの問題でもあることに気がついたのです。

■1枚の金貨の2000年後の利子

利子が利子を生む複利というものがいかに非現実的なものであるかは次の例でおわかりいただけると思います。

ヨゼフが息子キリストの誕生のときに3%の利子で1プフェニヒ(1マルクの100分の1)投資したとします。

そしてヨゼフが1990年に現れたとすると地球と同じ重さの黄金の玉を銀行から13億4000万個引き出すことができるのです。

永久に指数的な成長を続けることが不可能なのは火を見るよりも明らかでしょう。

私たちが依って立つ現代の経済システムがいかに荒唐無稽なものであるかエンデもまたこのヨゼフのたとえ話を対談やインタビューでよく引用していました。ケネディはいいます。

このまま利子が膨れあがっていくとしたら計算上遅かれ早かれだいたいは二世代後に経済的な破滅か地球環境の崩壊かのいずれかへと突きあたります。

それが根本問題です。信じる信じないの問題ではなく誰でもコンピューターがあれば計算できることです。

そして国が最大の債務者です。資金を借金によって調達しそれに対して利子を支払っているわけですから。

国はこのシステムによって最悪の当事者といえます。しかも多くの国は今日個人としてなら銀行から一銭も貨してもらえない局面に立ち至っています。

そしてもちろんもう一方には資産の所有者がいます。このシステムから利益を得ているのはほんの一握りです。

いまアメリカでは人口の1%がその他の99%よりも多くを所有しています。ドイツでも遅かれ早かれそうなるでしょう。

つまり一方でどんどん貧しくなる国があり自然環境も奪われつづけていきます。その一方で少数の者たちが法外な利益を吸い上げていく。それがいまの経済システムです。

(「エンデの遺言」より)

・・・

既に終末に向かってのカウントダウンが始まっていると思われますがこれからこの世界がまず直面するのはお金の問題でしょう。

つまりここで弊害が指摘されている「紙幣」の持つ矛盾点が表面化するということです。

いまではお金は「紙幣」から「電子マネー」に形を変えつつありその問題性を膨らませていますが時間の加速現象とあわせてこれからお金の膨張のスピードもますます速くなりやがて破裂することになるはずです。

その結果として起こる現象が世界大恐慌ということです。そこまで行けば終末のカウントダウンの足音を多くの人が認識することになるでしょう。

では私たちは何をどう備えたらよいのでしょうか。いまさらお金や物(食糧などの備蓄)で備えようとしても問題は解決しません。

間に合わないのです。「終末」はつまるところ私たち一人ひとりの「心の問題」だからです。