ヨイだろうと思ったことが
自分ができる最良だったとは限らない
このくらいでヨイだろう…の
まだ先がある。
反対に
コレガ最悪ダロウ… も
まだ先がある事になる。
言い換えれば どちらも
この時のコレガ最良だったと
思えば、常にハッピーである。
甥っ子が腕を負傷した
彼曰く、
『腕を怪我しなかったら、学校帰りに事故にあってた』
と言った。
ありえると思った。
運命の輪はこうやって回ってる。
起きてしまった事に悔いるより
起きてしまったことを
いかに苦でなくするか
仏教では楽も苦しみである。と説くが、
「何てことない」精神に持っていく
この過程こそが苦であり楽なのかもしれない。
1つの事象(怪我、病気、苦しみ)に捕らわれていると
苦であり続けるが、
苦から好転させる過程に気持ちを切り替える事が
できれば、苦でありながら楽へ流れ始める。
気持ちを切り替える、
より良いにするにはどうするか、
の行動へ意識が向き始めれば
楽でしかないのかもしれない。
私たちは生きている
心臓や細胞はとまらない
事象現象は動きのなかの一部にすぎない。