外的自己と内的自己、この両者の共同において、そこに初めて「私」が成立し、そして、この「私」こそが時間の正体なのである。
と、言われて腑に落ちる人もいれば
古典的な非相対論的物理学では、時間はスカラー量であり、長さ、質量、電荷のように、通常は基本量として記述される。時間は他の物理量と数学的に組み合わせて、運動、運動エネルギー、時間依存の場などの他の概念を導出することができる。計時は、技術的および科学的な問題の複合であり、記録管理の基礎の一部である。
と、言われた方がピンと来る人もいる。
ちなみに時間と言う概念は「ない」と考えた方がこの世を理解しやすいようですよ。
物理学における時間は、その測定によって定義される。すなわち、時間は時計によって読み取られるものである
☝️って外向きよね…
前者は人間の意識にコミットした時空を説明
後者は時間(用語)の定義を説明したもの
ベクトル(観てる方向)が違う。
同じ「時間」でもイメージや使い方が違ったら、
互いに理解していなかったら、
思いの共有はできない。話が通じるわけもないw
動画をシェアします。面白かったです。
特に後半部分が日常に応用できると思います。
(考え方のヒントとして)
人間のぶつかり稽古が新しい創造を生む。
激しく同意です。
人間のクリエイティブ性と仏性が人間のシンギュラリティの特異点を上げていく。
そう思うのよ。